第5回:趣味は仕事にできなかった

ボウリング談議

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第5回「趣味は仕事にできなかった」

『悲しきプロボウラー』という、2020年2月12日にリリースされた楽曲の存在はご存じだろうか。ボウリング界では有名な楽曲のひとつだ。

この楽曲はアーティストの桑田佳祐氏が発起人となり、誰でも参加できるボウリング大会として開催された『KUWATA CUP 2020』のテーマソングとして作成された、『桑田佳祐&The Pin Boys』による楽曲だ。

実は楽曲中に、筆者がひと際共感する歌詞が存在する。

それは『趣味と仕事は一緒にするな』だ。

趣味で始めたボウリングに夢中になればなるほど、その腕前はメキメキ上達する。アマチュアボウラーがパーフェクトとなる300点を出す、プロボウラー試験合格基準となる平均スコア200点を遥かに凌ぐ強者も多い。

そんな強者たちが目標としがちなのが『プロボウラー』だ。

筆者は高校三年生の進路決定の際、大学進学ではなく『プロボウラー』になることを決意し、それまでアルバイトをしていたボウリング場に就職した過去がある。

当時の男子プロボウラー試験合格基準は、平均スコア190点以上(現在は200点以上)だった。これは1ゲーム中にオープンフレーム(ストライクやスペア以外)がなく、1投目のカウントが極端に悪くなければ、合格可能な基準だったことになる。

高校二年生の終わりごろから、勤務していたボウリング場のKプロの指導を受けるようになっていた。Kプロは常々、『スペアを確実に取れればプロになれるのだから、1投目に多くのピンを倒すことが重要』と話しており、気が付けば筆者の平均スコア(リーグ戦やコンペ大会の総合)は軽く190点を超えていた。

加えて対外試合にも積極的に参加し、参加資格が高校生以下となるジュニアボウリングトーナメント大会などでも入賞することができるようになっていた。

それまで何となくボウリングを続けていた筆者は、ジュニアボウリングトーナメント大会での上位入賞者ほとんどが、『プロ志向』だったことに衝撃を受けたのだ。

『プロ志向』とは、プロトーナメント大会で賞金を稼ぎ、またスポンサー契約などの収入によって生計が立てることを目指すことだろう。

しかし、筆者はそうではなかった。

やりたいことが見つからず高校卒業後の進路が定まらない、加えて指導を受けていたKプロの左胸に輝く、『プロボウラーの証』ともいえるワッペンに対する強い憧れがあったのだ。

そんな筆者の気持ちを見抜いていた先輩社員Sからは、プロボウラーを目指すことを強く否定されていた。この先輩社員Sも、過去にプロボウラー試験に挑み不合格していた。

青二才だった筆者は、『先輩社員Sの見苦しい妬み』としか感じられなかった。

強い『プロ志向』をもってチャレンジしたとしても、賞金やスポンサー契約料などで生計を立てられる者は、ほんのひと握り。

それを肌で感じ苦労を重ねてきた先輩社員Sは、同じような苦労を筆者にしてほしくない。まだ若いのだから別な道を進むことで、新たな可能性を広げて欲しいとの、親心からのアドバイスだったのだ。

さらにそこには、もう一つ重要な意味があった。

周囲の意見に全く耳を傾けず、自身の欲求のままプロボウラーを目指した筆者だったが、この先輩社員Sのアドバイスの意味に気が付くには、そう時間は掛からなかった。

ボウリングに対する意識に、少しずつ変化が出てきたのだ。

『楽しかったボウリングが楽しくない』

仕事が終わればいくらでも練習する時間があるにも関わらず、早く自宅に帰り休みたかった。いや、ボウリングから離れたかったのかも知れない。

ある日、筆者はT支配人から呼び出された。きっと、先輩社員Sが見かねて相談していたのだろう。

どんな話があったか詳細は覚えていない。しかし、ボウリング・ブーム真っただ中に、プロボウラーとして活躍していたT支配人からの言葉は重かった。

T支配人からの言葉を受け、すぐに『プロボウラー』への道は諦めた。筆者の『プロ意識』はその程度だったのだ。

勤めていたボウリング場を退職し、T支配人からは「進学(大学合格)するまで出入禁止」と告げられた。子を谷底へ落とすような心境だったのだろう。

筆者にとってボウリングとは、『趣味であって仕事にしてはならない』という教訓が、いまでも生々しく脳裏に焼き付いている。

「『好きなこと』や『趣味』が仕事にできてうらやましい」と耳にすることもある。外野からは良い部分しか見えない。当事者たちには、決して他人には話せない努力と苦労が、その裏側にはあるのだ。

『趣味と仕事は一緒にするな』

まさしく筆者が、『趣味としてのボウリングを、仕事にしようとした過去』と一致する。

『仕事』の疲れやストレスを、『趣味』でしか発散できなかった筆者には、『趣味』だったボウリングが『仕事』に変わった瞬間、ボウリングが『仕事』となり、楽しくなくなったのだろう。

『嫌いになりかけたボウリング』

T支配人と先輩社員Sには、いまでも感謝している。

この二人のおかげで、いまも楽しくボウリングを続けることができている。そして大切な仲間もでき、新たな可能性も見つけることができた。

『趣味と仕事は一緒にするな』

『好きなこと』や『趣味』を『仕事』にして、失敗したと感じる人は意外と多いのかも知れない。

作者の意図とは異なるかも知れないが、筆者はこのように受け止めている。

この教訓と歌詞は、これからもずっと、筆者の心の中に居座り続けることだろう。


次回の執筆予定「マイボールでスコアUP」

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