寸景随想#22 営業マンの立ち姿が会社の輪郭を描いてしまうとき

寸景随想-コラム-

通勤用として使用している軽自動車を乗り換えようと考え、現在の買取価格を知るために、ある一括自動車査定サイトを利用した。最低額の上位三社と直接やり取りを行うという仕組みで、後日、追加で一社を加えた計四社による出張での現車確認査定を受けることになった。

査定当日、駐車場には同じ時間帯にセッティングした各社の営業マンが現れ、名刺を差し出し、車体を一周しながら状態を確認していく。本来であれば関心は「いくらになるのか」という一点に集まるはずだった。だが、その日はなぜか、金額でも業者の規模でもなく、目の前に立つ営業マンという人間そのものに自然と意識が向いていた

私は昭和生まれの、いささか頭の固い五十歳のおじさんである。

査定に来た営業マンの年齢層は幅広く、同年代もいれば、子どもほど年の離れた若者もいた。
その中で、ひときわ強く印象に残ったのが、大手買取業者から来た若い営業マンだった。

約束の時間に遅れて到着したにもかかわらず、最初にあったのは軽い自己紹介だけで、遅れたことへの謝罪はなかった。名刺を受け取った直後、彼が発した言葉は「もう次の車、買ったんっすか?」だった。その瞬間、言葉を失ったというより、気持ちの糸が一気に緩んだような感覚があった。

その後も会話は続いたが、語尾にはすべて「〜っす」が付く
「事故とかないっすよね」
「他にも査定したんっすか」
「いつ売る予定っすか」
友達口調とも違い、敬語とも言い切れない、その曖昧な距離感がどうにも落ち着かない

私は敬語を使えとか、年上を立てろと言いたいわけではない。

ただ、言葉をどう扱うかという意識そのものが、そこに感じられなかったのだ。さらに彼は、他社名を引き合いに出しては評価を下げ、自社の優位性を語り続けた。

「今日は査定だけで大丈夫ですから」とやんわり伝えても、話は止まらなかった。

この人とは、これ以上関わりたくない。

そう感じたのは、決して一言一句の問題ではなく、彼の立ち居振る舞い全体からだった。そして同時に、その印象は、彼個人ではなく、その会社そのものに重なっていった。

別の日に訪れた若い営業マンは、対照的だった。

言葉づかいはどこかぎこちなく、敬語も完璧ではない。それでも、緊張した面持ちと、失礼のないようにと気を配る姿勢が伝わってきた。そこには、取り繕いではない誠意があった。

さらに年配の営業マンは、自分から多くを語らない。質問も必要最低限で、こちらが話しやすい空気を自然につくり、言葉を引き出す。売ろうとする前に、まず聞く。その姿勢だけで、不思議と信頼が芽生えていく。

同じ査定、同じ仕事でありながら受け取る印象はここまで違う。

営業マンとは商品を売る人間である以前に、企業の姿勢や価値観を体現する存在なのだろう。
どれほど立派な看板を掲げていても、最終的に評価されるのは、目の前に立つ一人の振る舞いなのだ。

今回の現車査定は、車の値踏み以上のものを私に残した。

他人を見ているようで、実は自分自身の立ち姿を問い直していたのかもしれない。自分は仕事の場で、相手にどう映っているのだろうか。言葉の選び方、間の取り方、態度のひとつひとつが、知らぬ間に自分の属する組織や立場を語ってはいないだろうか。

営業マンの背中を通して、そんな自問が静かに浮かび上がった現車査定の一日だった。

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