偶然流れてきた一本のYouTube動画が、心を強く揺さぶった。
そこに映っていたのは、女子プロボウラー・中山律子。彼女がテレビ中継の中で、女子プロ初となるパーフェクトゲームを達成する瞬間だった。まっすぐなフォーム、静かな気迫、そして最後の一投を決めた直後の、崩れるような笑顔。記録にも、記憶にも残るその場面は、まさに奇跡のようだった。
当時、女子プロボウラーの創成期。ライセンスナンバー1を争ったのは中山律子と須田開代子。ナンバー1の座は須田に渡ったが、中山はそれを発奮材料に変え、テレビ中継という舞台で誰よりも先に“完全試合”を達成するという意志を貫いたという。
映像には、歓声に包まれる中で、どこか憮然とした須田の表情も映っていた。2人はまさに、ボウリング界の長嶋と王。その熱狂は、私の知らない時代の話である。それでも、画面越しに伝わる気迫と空気の重みが、なぜか胸に迫った。
あの頃、日本中がボウリングに熱狂していた。休日には家族連れが列をなし、会社帰りにはスーツ姿でスコアを競った。そこには確かに、“誰もが主役になれる場所”があった。
だが今、そのレーンの多くが静まり返っている。ボウリング場は老朽化し、閉鎖が相次いでいる。競技人口も減り、若い世代はこのスポーツの本当の魅力を知る機会すら失っている。
ボールを持ち、レーンに立ち、投げる。たったそれだけのことが、実はとても人間的な営みであることを、私たちは忘れかけているのかもしれない。ボウリングは、静かな闘志と反復練習、そして仲間との共感によって育まれる“文化”だったはずだ。
かつて、全国に燦然と輝いた「中山律子賞」の名が、今の世代にどれだけ響くだろうか。
失われるのは、建物や道具だけではない。そこに集った時間、熱狂、拍手、悔し涙と歓喜の声——それらすべてが、記憶ごと消えかけている。
だからこそ願う。あの時代を知る者も、知らぬ世代も、もう一度ボウリングのレーンに立ってみてほしい。スポーツとは、時に時代そのものの鏡である。
その光が、どうか消えてしまわぬように。