水が止まった夜に思う、当たり前の尊さと企業努力 #寸景随想9

寸景随想-コラム-

日常の中で「当たり前」と思っていたことが、一瞬にして失われる——そんな経験を先日した。自宅マンションの水が止まったのだ。

原因は日中に発生した落雷だったという。仕事を終え、帰宅して洗面所の蛇口をひねると、勢いよく出るはずの水がすぐに止まった。最初は一時的な不具合かと思ったが、何度試しても変わらない。手を洗うこともできず、風呂にも入れない。トイレも流せないし、当然食事の支度もままならない。日常生活を支える基盤が、一瞬で崩れ去ったことに愕然とした。

翌日、マンションの理事長から説明があった。「仮復旧はするが、利用が集中すると再び断水する可能性がある。完全復旧までは一か月以上はかかる」と。思っていた以上に大ごとであることを知らされ、生活に影響が長く及ぶことを覚悟せざるを得なかった。

とにかく、その日の私は汗を流したかった。真夏の蒸し暑さに包まれ、身体はべたつき、心も重くなっていた。頭に浮かんだのは、近くの漫画喫茶だった。漫画喫茶のシャワーを利用すればなんとかなるのではないかと、身支度を整え、すぐに出かけた。

受付を済ませ、案内されたシャワールームの蛇口をひねった瞬間、勢いよく水が流れ出した。その音と温かさが、どれほど心強かったことか。普段なら当たり前に感じるはずの光景が、このときは全く違う意味を持って迫ってきた。
止まらずに流れ続ける水——それは、生活の安心そのものだった。私はシャワーを浴びながら、蛇口から出る水のありがたみを、全身で痛感させられた。

シャワーを終え、備え付けのソフトクリームを口にすると、ふっと心がほどけていくのを感じた。清涼感と甘さが混ざり合い、張り詰めていた気持ちを少し和らげてくれる。会計を済ませると220円だった。このご時世、これで採算が取れるのかと驚きつつ、企業努力に頭が下がる思いだった。

現在は時間帯をずらして自宅でも風呂に入れるようになり、ようやく日常が戻りつつある。それでも今回の断水は、私にいくつかの大切な気づきを与えてくれた。まず、蛇口をひねれば水が出るという「当たり前」がいかに貴重なことかということ。そして、緊急時に安価で利用できるサービスを提供し続けてくれる企業の存在が、どれほど社会にとって重要であるかということだ。

水は私たちの暮らしを支える最も基本的なライフラインである。その存在を意識することなく過ごせるのは、すべてが正常に機能しているからにほかならない。だがひとたび止まれば、暮らしは大きく揺らぎ、不安が心を覆う。そんなときに頼れる場所があることは、何よりの救いである。

今回の一件は、便利さに慣れすぎた自分への警鐘でもあった。蛇口から水が出ることは決して当然ではない。無数の人々の努力と仕組みによって支えられた結果なのだ。だからこそ、そのありがたみを忘れてはならない。そして同時に、利用者の立場に寄り添い、安価で安心を提供してくれる企業にもまた、深い感謝を覚える。

当たり前に思っていたことが揺らいだ夜。水と企業努力に救われたその体験は、これからの私の暮らしに小さな緊張感と、確かな感謝を刻んでくれた。

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