寸景随想#27 相手を変えようとしたとき人間関係は終わるのだろうか

寸景随想-コラム-

人はなぜ互いを理解できないまま離れていくのだろうか。

最近になって、よく考えることがある。

それは、人の考え方や人格というものは、生まれ育った環境やこれまでの人生経験によって形づくられていくのではないか、ということだ。

人はそれぞれ違う場所で生まれ、違う家庭で育ち、異なる出来事を経験しながら生きている。その後に出会った仕事や人間関係もまた、その人の価値観に大きな影響を与えていく。そうして積み重なってきたものが、その人の考え方や人格を形作っているのだと思う。

だからこそ、私が相手のことを思い、気を使い、「これが正しいのではないか」と考えて提案したとしても、それが必ずしも相手にとって受け入れやすいものとは限らない。むしろ、良かれと思って発した言葉が、相手にとっては否定されているように感じられることもある。

そして、その反応を私自身が受け入れられないと、「相手を変えたい」という気持ちが生まれてしまう。しかし、この「相手を変えようとする言動」こそが、実は人間関係に亀裂を生む原因なのかもしれない。相手からすれば、自分の価値観や生き方を否定されたように感じるのだから、当然受け入れがたい存在として映るだろう。

年齢を重ねるにつれ、「どうしてこの人はそんな言い方をするのだろう」「どうしてそんな反応しかできないのだろう」と思うことが増えてきた気がする。

相手を理解しようと頭では思っていても、私自身もまた、自分の生きてきた環境の中で価値観が形成されている。だからこそ、理解しようとしても、心のどこかで受け入れられない部分が残ってしまうのだ。

やがてその違和感は小さなストレスとなり、次第に距離を置くようになる。不思議なことに、その空気は相手にも伝わるものだ。私が「少し距離を置きたい」「もう深く関わりたくない」と感じ始めるころ、相手もまた同じような感覚を抱いていることが多い

そうしてお互いに絶妙な距離感が生まれ、気がつけば、相手は心の中から自然に消えている。いわゆる「自然消滅」という関係だ。

年齢を重ねるほど新しい出会いは少なくなる。だからこそ、長く付き合ってきた相手との関係が自然消滅してしまうことは、どこか寂しさを感じるものでもある。

それでも私は思う。

まだまだこれから多くの人と出会い、そして自分自身の人格もまた、少しずつ変わり続けていくのだろうと。

自分にとって都合の良いものだけを受け入れるのではなく、なぜ相手がそのように感じ、そのような言動を取るのか。その背景にも目を向けながら、私自身もまた、人と向き合っていかなければならないのだろう。

そんなことを、最近ふと考えるようになった今日この頃である。

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