寸景随想#26 遠回りに見えた出来事は何を教えてくれていたのか

寸景随想-コラム-

予定通りにいかない出来事は、本当に不運なのだろうか。

ここ最近、意識していることがある。

それは予定通りに物事が進まなかったとき、思い描いていた結果にならなかったときに、それを「失敗」や「不運」と決めつけないようにすることだ。むしろ、それは運命からのささやかな警告であり、「今はその道ではない」「別の選択をしなさい」と教えられているのだと、そう受け取るようにしている。

事前に準備していた通りに事が運ばなければ、人はどうしても苛立つ。計画が狂ったことへの不満や焦りが積み重なり、心は落ち着きを失っていく。しかし、予定通りにいかない現実を無理に捻じ曲げようとするほうが、実はもっと大きなエネルギーを消費し、結果として疲れやストレスをため込んでしまうのではないだろうか。

私は最近、目の前で起きている出来事に対して、「これはきっと、こちらを選びなさいという合図なのだ」と、一歩引いて考えるようにしている。すると不思議なことに、あとから振り返ったとき、「あのとき、無理に予定通りにしなくてよかった」「もしあの選択をしていたら、きっと良い結果にはならなかった」と思える場面が増えてきた。

そんな考え方を後押ししてくれた出来事がある。

先日、私はとある中古車販売店で車を購入した。ところが、購入時に対応してくれていた担当者が途中で退職してしまい、納車は当初の予定よりも10日以上遅れてしまった。途中からはお店からの連絡も途絶え、私は不安を覚えながら自ら店を訪ねることになった。

事情を説明してくれた店長は、とにかく平謝りだった。

本来であれば、不満をぶつけてもおかしくない場面だったと思う。しかし私はそのとき、「まだこの車に乗る時期ではないのだ」と、自分に言い聞かせた。予定通りに進まないことにも、きっと意味がある。そう思うことで、自然と店長をなだめる言葉が口をついて出た。

そして先日、ようやく納車の日を迎えた。

店長も新たに担当してくれた方も、終始申し訳なさそうな表情で、何度も頭を下げていた。しかし対応は誠実で、こちらの希望にも丁寧に応えてくれた。私は笑顔で車を受け取り、気持ちよく店を後にしようとした。そのとき、店長が深々と頭を下げ、改めて謝罪をしてくれた。

私は思わず、「店長という立場を務めるのは大変なことですね。これからもその誠実な姿勢で頑張ってください」と声をかけた。すると、張りつめていた店長の表情がふっと緩み、心から安堵したような笑顔が浮かんだ。その姿を見て、なぜか私の胸も温かくなった。

考えてみれば納車が遅れたからこそ、店長とここまで言葉を交わすことができたのだと思う。もし早く納車してほしいと詰め寄っていたら、お互いに嫌な感情だけが残り、笑顔でこの日を迎えることはできなかっただろう。

私自身、サービス業に身を置く一人として、最近はお客さんから励まされたり、感謝の言葉をかけられる機会が減ってきたと感じている。だからこそ、相手の立場を理解し、気持ちよく仕事ができるように接することの大切さを、改めて実感した。

予定通りにいかない出来事は、不運ではない。

それは、別の道へ導いてくれるための、静かな合図なのかもしれない。そう考えるようになってから、心は少し軽くなり、日々を穏やかに過ごせるようになった気がしている。

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