みなさんの今年のお正月には、どれほどの年賀状が届いただろうか。
私の元旦に届いた年賀状は、わずか一通だった。しかも差出人は、昨年まで通っていた接骨院。友人や知人からの年賀状は、一枚もなかった。
子どものころ、年末というのは少し特別な季節だった。クラスの女の子に堂々と住所を聞ける、数少ない正当な口実が「年賀状出したいから、住所を教えてくれない?」という一言だった。元旦の朝には「ポストを見るのは僕がやる」と名乗り出て、胸を高鳴らせながら郵便受けを開けた記憶がある。そこに何通の年賀状が入っているかで、その一年の始まりの気分が決まった。
年賀状は、やがて手書きから印刷へ、そして現在ではSNSでの新年の挨拶へと姿を変えた。時代の流れと言ってしまえばそれまでだが、確実に「待つ時間」や「触れる手触り」は失われていったように思う。
いま私の新年の挨拶は、ほとんどがLINEで交わされる。
元旦には、日頃お世話になっている方々へこちらから先にメッセージを送り、また多くの返信を受け取り、気がつけば一日中スマートフォンを手放せない。便利ではあるが、その中でふと、あることに気づいてしまった。
メッセージの履歴を遡ると、「前回のやり取りが、ちょうど去年の元旦だった」という人が、複数名いたのだ。年賀状の時代であれば、前年に届いた年賀状をファイルで確認し、「去年はもらっていないし、今年は出さなくてもいいか」と、少しずつ関係を終わらせていたのだと思う。だがLINEでは、その“疎遠さ”が履歴という形ではっきりと可視化されてしまう。
それでも私はLINEの友だちとして残っている限り、たとえ一年に一度しか連絡を取らない相手であっても、必ず年始の挨拶を交わすようにしている。友だち登録をした当時には、確かにつながりがあり、お世話になった時間があったからだ。
もし相手が関係の継続を望まないのであれば、ブロックや削除によって既読はつかなくなる。それを確認して、初めて私も関係の終わりを受け入れることにしている。
今年も数名、そんな“静かな疎遠”に気づいた。そして、毎年「今年は時間を作って飲みたいですね」と交わしてきた交辞令を、今年こそは本当の約束に変えてみようと思っている。年賀状では躊躇していた誘いも、LINEなら気軽に声をかけることができる。
便利さを好まない人もいるだろう。
それでも私は、形を変えながら人と人とをつなぎ続ける、この年始の挨拶という習慣を大切にしたい。年賀状が一通だけだった元旦は、少し寂しくもあり、同時に、つながりの意味を考え直す静かな時間でもあった。
形は変わっても、人を思い出し、人に声をかけるきっかけであり続けること。
それこそが、年賀状という文化の本質なのかもしれない。

