寸景随想#21 手放すことでまた巡り合う、ネットオークション30年の記憶

寸景随想-コラム-

私がパソコンに触れ始めたのは、Windows95が世に登場した30年ほど前のことだった。

ちょうど一浪を経て大学へ進学した年で、キャンパスではごく自然な流れとして、授業の中にパソコンが組み込まれ始めていた。時代の変化に取り残されまいと、私は一台のノートパソコンを購入した。あの頃のノートパソコンは決して安い買い物ではなかったが、それでも新しい世界へ足を踏み入れるための切符のように感じられた。

やがてインターネットオークションという仕組みを知り、私はその世界に足を踏み入れた。

今振り返れば、ずいぶんと勇気の要る行為だったと思う

出品者と購入者は互いに個人情報を開示し、代金のやり取りには銀行口座番号を知らせなければならなかった。支払いが済んだかどうかを確認するため、私は一日に何度も銀行へ足を運び、通帳を記帳しては入金を確かめていた。画面の向こうにいる見知らぬ誰かと、そんな不確かな信頼関係の上で取引をしていた時代だった。

それから約30年が経ち、ネットオークションやフリマの世界は、まるで別物のように姿を変えた。

先日、久しぶりに断捨離を思い立ち、使わなくなっていたスマートフォンとタブレットをネットフリマに出品してみたところ、驚くほどあっさりと、しかも数時間のうちにすべてが売れてしまった。

入金は即座に通知され発送も匿名で完結する。

出品者も購入者も、互いの素性を知る必要はない。あの頃、何度も銀行へ通っていた自分に教えてやりたいほど、取引は軽やかで合理的になっていた。

便利になった分、その仕組みを悪用する者が現れるのもまた事実で、運営会社は日々対策に追われているという。しかしそれでも、この仕組みが多くの人に支持され続けているのは、「必要とする人へ、必要な物が渡る」という単純で健全な循環が、確かに機能しているからなのだろう。

今回出品した品の中には、購入時とほぼ同額で売れたものもあれば、9割ほどの価格で手放せたものもあった。

欲しいと思ったものはまず買って触れてみる。もし役目を終えたと感じたなら、また誰かへ手渡す。そのとき、購入金額に近い価格で引き取ってもらえる仕組みがあるというのは、私にとって非常にありがたい。実際、今回の断捨離で得た資金を使い、少し値の張る気になっていた品を購入しようと考えている。

物を捨てるのではなく、手放し、巡らせる。

ネットオークションやフリマサイトは、単なる売買の場を超えて、現代のリサイクル意識の根底を静かに支えているように思う。

30年前、通帳を握りしめて銀行へ通っていた私が、いまはスマートフォン一つで物の行き先を決めている。その変化の大きさを思いながら、画面に表示された「取引完了」の文字を、しばらく眺めていた。

タイトルとURLをコピーしました