寸景随想#15 涙腺の記憶、銀牙が教えてくれる“強さ”の意味

寸景随想-コラム-

年齢を重ねると涙腺が弱くなる。

そんな言葉を聞いて、半信半疑だった時期もあった。
だが、最近の私はその意味をしみじみと実感している。

昼休み、車の中で弁当を食べながら、昔好きだったアニメを1話ずつ見ている。
タイトルは『銀牙 -流れ星 銀-』。1986年に放送された全21話の作品で、主人公は犬だ。人間の言葉を話し、仲間の犬たちと会話し、共に闘う。その世界は一見奇抜だが、根底に流れるものは極めて人間的だ。

仲間のために命を懸ける勇気。敵対していた者同士が心を通わせ、力を合わせる友情。そこには、いまの時代が少し置き忘れてしまった「自己犠牲」や「絆」という言葉の原風景がある

物語が7話目を過ぎたころ、銀は全国の強き男(犬)たちを探す旅に出る。道中で出会う者は皆、傷を負い、誇りを抱え、矛盾の中で生きている。そんな彼らが、やがて共鳴し合い、協力し合う。その姿に、私は気づけば涙をこぼしている。
悲しみの涙ではない。ただ、胸の奥が熱く締めつけられる。切なく、そして清らかな涙だ。

昼の車内。誰にも見られたくない中年男が、一人サンシェードを下ろして泣いている。。。そんな姿は滑稽かもしれない。だが、不思議なことに、涙を流したあとの心は穏やかで、軽やかだ。若いころにはなかった感覚である。

考えてみれば、涙とは、忘れていた何かを思い出す行為なのかもしれない。

それは、かつて胸の奥に宿していた理想や憧れ、誰かのために動けた純粋さの記憶。
銀牙の世界で、命を懸けて仲間を守る犬たちに、自分の中の“もうひとり”が静かに呼び覚まされる。

明日もまた昼休み、私は車にカーテンを引いて、男(犬)たちの冒険を見届けるだろう。
涙を流すことは、弱さではなく、人としての感受を取り戻すことなのだと信じながら。

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