私は毎朝、欠かさずチェックしているものがある。
それはテレビの天気予報と、スマートフォンの雨雲レーダーアプリだ。
通勤経路には駅から会社までの少し長い徒歩区間があり、そこで雨に降られると一日が台無しになってしまう。だから、わずかでも雨の気配があれば、必ず傘を持って出かけることにしている。
しかし傘というものは、雨が降らなければ実に厄介な荷物である。
天気予報で降水確率が高めと聞けば、すぐにアプリを開いて雲の動きを確認する。現代の雨雲レーダーは驚くほど精度が高い。朝の時点で自宅周辺は晴れていても、出勤先付近の雲の流れを見れば、到着時刻に雨が降るかどうかが分かるのだ。
その日も、アプリの予測では「到着時間に小雨」と出ていた。
迷った末に傘を持つことに決め、自宅を出た。駅に着くと、周囲には傘を持っている人が一人もいない。空を見上げながら、本当に必要だったのだろうかと一瞬ためらった。車内でも傘を手にしている自分がどこか浮いているように感じた。
しかし、電車に揺られて40分。会社の最寄り駅に着いたとき、空の色が急に変わった。
プラットフォームを出た瞬間、パラパラと雨が降り始めたのだ。
周囲を見渡すと、誰も傘を持っていない。みな小走りで目的地へと急ぐ中、私は静かに傘を開いた。わずかな違いではあるが、濡れずに会社へ着けたことに小さな満足を覚えた。
昔はこうした便利なアプリなどなく、突然の雨に慌てたり、駅でビニール傘を買ったりしたものだ。だが、いまは掌の中で数時間先の天気を読み取ることができる。技術の進歩とは、こうしたささやかな場面でこそ、そのありがたみを感じる。
そして、ふと思った。
人の判断とは、結局は「備えるか、備えないか」なのかもしれない。
たった一本の傘を持つかどうか、その小さな選択が一日の快適さを決める。
便利な時代に生きているからこそ、自分の直感と情報を信じることの大切さを、雨雲レーダーが静かに教えてくれた朝だった。

