寸景随想#11 平凡に寄り添う幸せのかたち

寸景随想-コラム-

皆さんは「物欲」が強い方だろうか。

私はかつて最新のスマートフォンやタブレット、パソコンに心を奪われ、新機種が発売されればすぐに飛びついた。数か月もすると使わなくなり、フリマサイトで売却。その代金でまた新しいものを買う——そんな循環を繰り返していた。

ところがここ数年、その熱はすっかり冷めてしまった。
大きな理由は「慣れたものを使う方が楽」だと気づいたからだ。確かに新機種は高性能で便利だろう。だが、一から設定し直し、大きさや重さ、操作性に慣れ、ケースやアクセサリーも買い換えねばならない。その手間を考えると、購入意欲よりも煩わしさの方が勝ってしまう。

これは食べ物も似ている。
珍しい新メニューに挑戦するよりも、昔から好きだった味を繰り返し選ぶようになった。若い頃は刺激を求めて新しいものに飛びついたが、今は馴染みの味に心を落ち着かせている。

こうした変化は「年をとったから」なのか、それとも「面倒を避ける性分になっただけ」なのか、自分でもよく分からない。ただ確かなのは、強く関心を持つ対象が年々減ってきたことだ。毎日に大きな刺激を求めるのではなく、平凡で穏やかな日々を大切にするようになった。

もちろん、新しいことに挑戦しないわけではない。
だが、長続きしないのが常だ。そんな中で唯一続いているものがある。高校時代から続けているスポーツとしてのボウリング、そして社会人になってからの警備の仕事だ。

二つの軸があるからこそ、私は自分の場所を見失わずにいられるのかもしれない。派手さはなくとも、そこに日々の安定と確かな充実感がある。物欲を手放しつつある今だからこそ、平凡さに寄り添う幸せのかたちを、しみじみと感じている。

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