スポーツにおいて「力みは大敵」とよく言われる。とにかく力を抜け、と。ボウリングもまた、その例外ではない。むしろ、あのわずかな助走と振り下ろしの中で、余計な力を削ぎ落とすことこそが、正確さと安定を生む。
私は週末になると、競技ボウリングと呼ばれる世界に身を置く。マイボールとマイシューズを揃え、ボウリング場が催すコンペ大会に参加するのだ。多くは4ゲームのトータルピンで順位を争い、技術差を埋めるためにハンデキャップも設定される。過去のスコアからアベレージをもとに加算されるその数字は、実力の証であり、同時に現実の壁でもある。
私の日常に特別な練習はない。週末の大会が、唯一の実戦であり練習の場でもある。だが、不思議なことがある。調子を崩した翌朝には、決まって両肩に筋肉痛が走る。逆に、思い通りの投球ができた翌日には、それがない。力を抜くべきところで、どこか無意識に力んでしまっている証だろう。
自然体でいるつもりでも、メンタルがわずかに揺らぐだけで体は硬直する。考えすぎれば、その思考がそのまま筋肉に伝わり、球筋を狂わせる。技術面は練習すれば向上するが、メンタルの制御は一朝一夕にはいかない。それは、競技の奥深さの証であり、上級者への道を阻む静かな壁でもある。
ボウリングのレーン上で「力を抜く」ことは、単なる動作の軽減ではない。余計な執着や焦燥を手放すことであり、むしろ精神を研ぎ澄ます行為に近い。おそらく、その境地に至ったとき——ボウリングはただのスポーツではなく、一種の自己修養になるのだろう。
次の週末も、きっと私はまた同じ課題を胸にレーンへ立つ。力を抜く、その難しさとともに。
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